今回は前橋の歴史とレンガの関わりについてまとめました。(歴史はゆるめですのであしからず)主に近代化に焦点を当て、建物とレンガの関係をひも解いていきます。
まず、MDCが発行している超前橋大百科にはこう書かれています。
いと【糸】【silk】前橋の発展を支えた生糸(絹)産業。明治初期、前橋産生糸は欧米で高い評価を得ていた。前橋製糸場は日本初の洋式器械製糸場として富岡製糸場の2年前に稼働した。世界遺産富岡製糸場の官製大規模集約型とは異なり、前橋のそれは民間多極分散型が大きな特徴で事業者の切磋琢磨が技術・品質を高めてきた。
前橋の近代化は生糸によるところが大きく、1861年には前橋藩が生糸改会所を設置して藩専売を実施、翌年には横浜の5軒の売込商を指定して「前橋糸」の委託販売を行っていました。
日本初の(洋式)器械製糸所が創業され、さらに港との販路を確立できていたことから、前橋の生糸産業は全国をリードする産業になりました。
群馬の製糸場といえば、富岡製糸場が取り上げられますが、それより前に前橋製糸所があったことを心の片隅に・・・ちなみに、前橋製糸所は現存しておらず、当時の用具などが「前橋市蚕糸記念館」に保管されています。
生糸産業の繁栄で近代化した群馬県の製糸所には、「レンガ」が多く使用されました。
レンガ造りには、フランス(フランドル)積み、イギリス積みなどがあります。レンガの長辺と短辺を交互に並べていくフランス積みが優美に見えるために当時主要でしたが、長辺の列と短辺の列を交互に積むイギリス積みの方が堅固であることから、その後多く採用されるようになりました。富岡製糸場は「フランス積み」で置繭所と繰糸所が作られました。ちなみに富岡製糸場のレンガは、埼玉県深谷の瓦職人を集めて作り上げられ、約1年半の歳月を要したそうです。
一方、前橋のレンガ倉庫は「イギリス積み」が多く残っていて「上毛倉庫」「旧奈良製糸所糸保管倉庫」「旧安田銀行担保倉庫」が代表として挙げられます。酒造にもレンガ倉庫が使われてる箇所がありますが、また別の機会にご紹介します。
生糸産業の発展、そして建造物がレンガ造りとなったことが明治の近代化に大きく寄与しました。ただし、空襲によりレンガ造りの建物が消失してしまい、さらに耐震性の問題もあり、現存しているレンガ造りの建物はとても貴重なものです。前橋に残るレンガを探して、ぶらり散歩してみるのも楽しそうですね。
次回は「前橋レンガ プロジェクト 始動!」をお届けします。
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